DTMでクオリティの高いマスタリング・ミックスを行う上で、EQの選択は極めて重要です。IK MultimediaのT-RackS 5には、6種類のビンテージEQが収録されており、それぞれが異なるアナログ機器をモデリングしています。
今回は、これら6つのEQ(EQ-73、EQ-81、EQP-1A、EQ-PA、EQ-PB、EQ-PG)の倍音特性と音質の違いを徹底比較し、マスタリング・ミックスでの効果的な活用方法を解説します。
T-RackS 5 EQコレクション概要
T-RackS 5のEQは、音楽史に残る名機をモデリングした6種類のプロフェッショナルEQを搭載しています。これらは単なる周波数特性の再現にとどまらず、原機が持つアナログ回路特有の倍音特性まで忠実に再現しているのが特徴です。
各EQは以下の3つのメーカー系統に分類できます:
- Neve系:EQ-73(1073モデル)、EQ-81(1081モデル)
- Pultec系:EQP-1A(EQP-1Aモデル)
- API系:EQ-PA(550Aモデル)、EQ-PB(550Bモデル)、EQ-PG(560モデル)
各EQの詳細解説と倍音特性
EQP-1A:真空管の温かみと音楽的な響き

回路方式と倍音特性
- 真空管とパッシブフィルター回路
- 偶数次倍音が豊かに付加される特性
- 通すだけで音が太く、温かみと存在感が増す
- 心地よいサチュレーションで「音楽的な」響きを実現
特徴的なEQカーブ
最大の特徴は「Pultec EQ Trick」と呼ばれる低域の同時ブースト&カット機能です。同じ周波数帯域をブーストしながらカットすることで、独特のカーブを生み出し、迫力と輪郭を両立させます。
- 低域:20, 30, 60, 100Hz選択可能
- 高域の「Air」バンド:10kHz、12kHzが特に美しい
- Q(カーブの鋭さ)が非常にブロード(なだらか)
マスタリングでの活用法
ミックスバス全体に温かみを付加する際の第一選択。特に12kHzのエアバンドは、デジタル録音特有の冷たさを和らげ、アナログライクな輝きを与えます。
EQ-73:ブリティッシュサウンドの象徴

回路方式と倍音特性
- クラスAディスクリート・トランジスタ回路
- 力強いパンチとアナログ特有の温かみ
- プリアンプをドライブさせることで多彩な倍音を付加
- 12kHzのハイシェルフは「シルキー」な美しい高域を作り出す
EQバンド構成
シンプルな3バンド構成ながら、音楽的で使いやすい周波数ポイントを厳選:
- High Shelf:12kHz固定
- Mid Band:0.36, 0.7, 1.6, 3.2, 4.8, 7.2kHzから選択
- Low Shelf:35, 60, 110, 220Hzから選択
実践的な使用法
「通すだけで音が良くなる」と評される万能EQ。ボーカルの存在感向上、ドラムのパンチ強調、ギター・ベースの音の芯を太くする用途に最適です。
EQ-81:精密さとNeveサウンドの融合

音質特性の進化
- クラスA/Bディスクリート・トランジスタ回路
- 1073よりクリアでタイトなサウンド
- ヘッドルームが広く、歪みの少ない特性
- Neve特有の音楽的な質感は健在
拡張されたEQ機能
- 拡張された4バンド構成
- High/Low Shelfのピーキング切替可能
- 2つの中域バンドとHi-Q(狭いQ)オプション
- ハイパス/ローパスフィルター搭載
マスタリングチェーンでの位置づけ
複雑な倍音成分を持つ楽器(ピアノ、ストリングス、オーバーヘッドマイク)の繊細な調整に威力を発揮します。1073の音楽性と現代的な操作性を両立した万能EQです。
EQ-PA:アメリカンサウンドのパンチ

API特有の音質特性
- ディスクリート・オペアンプ(2520など)回路
- 硬質で前に出る、パンチの効いたサウンド
- トランジェント(音の立ち上がり)への素早い反応
- 中域の押し出し感が特に強い
プロポーショナルQの特徴
API EQの大きな特徴は「プロポーショナルQ」システムです。ブースト量に応じてQ幅が自動調整されるため、大胆なブーストでも音楽的なカーブを維持します。
ロック・ポップスでの活用
ドラムのキック・スネア・タムのアタック強調、エレキギターの中域プッシュ、アグレッシブなロックボーカルの処理に最適。パンチとアタックが必要な全てのソースに威力を発揮します。
EQ-PB:APIの柔軟性を拡張

550Aからの進化点
- 拡張された4バンド構成
- 各バンド7つの周波数ポイント
- オーバーラップする周波数帯域
- より複雑なEQカーブの作成が可能
精密なマスタリング用途
550Aと同じAPIサウンドの柔軟な拡張版として、ピアノやキーボードの中域の細かい調整、不要な帯域の正確なカットに活用できます。
EQ-PG:視覚的な操作性

グラフィックEQの利点
- 10バンド・グラフィックEQ(31Hz〜16kHz)
- スライダーで視覚的にEQカーブを把握
- 直感的な操作で素早い音作り
- API特有のプロポーショナルQ採用
実用的な活用場面
ドラム全体のトーン調整、ルームチューニング、フィードバック抑制など、素早いバランス調整が求められる場面で威力を発揮します。
メーカー系統別比較と特徴
Neve系(EQ-73・EQ-81)
EQ-73の特徴
- シンプルな3バンド構成
- 音楽的で温かみのあるサウンド
- 「通すだけで良くなる」万能性
- 12kHzシェルフの美しさ
EQ-81の特徴
- 拡張された4バンド構成
- 1073よりクリアでタイト
- 精密な調整が可能
- Hi-Qオプションで外科的処理も
用途の使い分け
- EQ-73:温かみを重視する楽曲、ボーカル・ギター・ベースの基本処理
- EQ-81:現代的でクリーンな仕上がりを求める楽曲、複雑な倍音成分の調整
Pultec系(EQP-1A)
真空管による偶数次倍音の付加が最大の特徴。他のEQとは一線を画す音楽的な響きを提供します。マスタリングの最終段で「アナログの質感」を付加する用途に最適です。
API系(EQ-PA・EQ-PB・EQ-PG)
モデル | バンド数 | 特徴 | 主な用途 |
---|---|---|---|
EQ-PA(550A) | 3バンド | シンプル、パンチ重視 | ドラム、ロックギター |
EQ-PB(550B) | 4バンド | 精密調整可能 | ピアノ、複雑な音源 |
EQ-PG(560) | 10バンド | グラフィック、視覚的 | 全体調整、問題解決 |
マスタリングEQチェーンでの活用方法
基本的なEQチェーン構成
2. EQP-1A → 低域の迫力と高域の輝き付加
3. EQ-73 → 全体の温かみと音楽的な質感
ジャンル別アプローチ
ポップス・R&B
- EQ-PA:ドラムのパンチとボーカルの存在感
- EQP-1A:全体の温かみと輝き
- EQ-73:最終的な音楽的仕上げ
ロック・メタル
- EQ-PA:ドラム・ギターのアグレッシブさ
- EQ-PB:細かい周波数調整
- EQ-81:全体のクリアネス維持
ジャズ・アコースティック
- EQP-1A:アナログの温かみ付加
- EQ-73:楽器の自然な響き強調
- EQ-81:最終的な透明感調整
楽器別・用途別の最適設定
ボーカル処理
メインボーカル:EQ-73の中域(1.6〜3.2kHz)で存在感アップ、12kHzシェルフで輝き付加
コーラス・ハーモニー:EQ-81の精密な調整でメインボーカルとの棲み分け
リズムセクション
キックドラム
- EQP-1A:Pultec EQ Trickで迫力と輪郭を両立
- EQ-PA:アタックの強調とパンチアップ
スネアドラム
- EQ-PA:200Hz〜5kHzでボディとアタックを調整
- EQ-73:全体の温かみと存在感付加
ベース
- EQP-1A:低域の太さと高域の輪郭
- EQ-81:60〜220Hzでローエンドの整理
メロディ楽器
ピアノ
- EQ-81:複雑な倍音の繊細な調整
- EQ-PB:中域の細かいカーブ作成
ギター
- EQ-73:エレキギターの芯と温かみ
- EQ-PA:ロックギターのアグレッシブさ
実践的なEQテクニック
サイドチェーンEQテクニック
T-RackS 5のEQは、外部サイドチェーン入力に対応しています。キックドラムの信号をサイドチェーンとして使用し、ベースの特定周波数を動的にカットすることで、より明確な分離を実現できます。
並列処理(パラレルEQ)
マスタリングでは、原音と並列にEQ処理した信号をブレンドする手法も効果的です:
- 原音:80%
- EQP-1A処理音:10%(温かみ付加)
- EQ-PA処理音:10%(パンチ付加)
M/S処理での活用
ステレオ信号をMid(中央)とSide(左右の差分)に分離してEQ処理:
- Mid信号:EQ-73で全体の温かみ
- Side信号:EQP-1Aの高域で広がり感
倍音分析結果とその活用
偶数次倍音と奇数次倍音
偶数次倍音重視
EQP-1A:真空管回路により豊かな偶数次倍音(2次、4次、6次…)を付加。温かみと音楽的な響きを実現。
奇数次倍音とのバランス
API系EQ:適度な奇数次倍音でエッジとアグレッシブさを付加。現代的なサウンドに最適。
倍音特性を活かしたマスタリング戦略
- 温かみ重視:EQP-1A → EQ-73の順番で偶数次倍音を重ねる
- 現代的クリアネス:EQ-81 → EQ-PBで透明感を維持
- ハイブリッドアプローチ:各EQの特徴を組み合わせて理想のバランスを構築
マスタリングワークフローでの実践例
ステップ1:問題解決フェーズ
EQ-81 → 不要な共鳴やマスキング周波数の外科的カット
ステップ2:音楽的エンハンスメント
EQP-1A → 低域の迫力と高域の輝き付加(Pultec EQ Trick使用)
ステップ3:キャラクター付加
EQ-73 → 全体の温かみと音楽的質感の仕上げ
ステップ4:最終調整
EQ-PA/PB → 必要に応じてパンチや精密調整を追加
まとめ
IK Multimedia T-RackS 5の6種類のEQは、それぞれが音楽史に残る名機の特性を忠実に再現しており、マスタリング・ミックスで求められるあらゆる音作りニーズに対応できます。
各EQの特性まとめ:
- EQP-1A:真空管の温かみ、マスタリングの定番
- EQ-73:ブリティッシュサウンド、万能性
- EQ-81:精密調整、現代的クリアネス
- EQ-PA:アメリカンパンチ、ロック・ポップス
- EQ-PB:API系拡張版、複雑な調整
- EQ-PG:グラフィック、視覚的操作
重要なのは、これらのEQが単なる周波数調整ツールではなく、それぞれが固有の倍音特性とキャラクターを持つ音楽的なプロセッサーだということです。
デジタル時代だからこそ、アナログ機器が持つ音楽的な倍音特性の価値は高まっています。T-RackS 5のEQコレクションを使いこなすことで、プロフェッショナルレベルのマスタリング・ミックスが実現できるでしょう。
マスタリングは技術と芸術の融合です。これらのツールの特性を理解し、楽曲の持つポテンシャルを最大限に引き出すことが、私たちマスタリングエンジニアの使命なのです。